イタリアより引き摺ってきた感染の恐怖と、帰国時に体験することになった新型コロナウイルス対策をここまで自らの視点から語ってきたが、引き続き家族こぞって東京に留まった12日間を伝えたい。
ウイルスの蔓延あって厳しい状況とは知りながら、イタリアを発つか否かを考えあぐねていた一番の理由に、日本へ帰国した折の家族4人での滞在事情があった。そう、宿泊先のことである。わたしが九州、家内が四国の出身とあって、厚労省からの要請に公共交通機関を利用できずとあったことから、身の置き場を探すことが先決であった。都内に留まるか、レンタカーで列島縦断するか、それだけの選択肢。四国や九州までアクセル、ブレーキを交互に踏む勇気はなく、都内に留まるとして二週間いったいどれほどの散財になるか。
結局のところ経済的に無茶とはわかりながらも背後から迫りくる恐怖に追われるように日本に戻ることになる。「お金なんてどうにかなるさ!」と父はちょっとだけ強がってみせた。
成田で検査結果待ちの宿泊費2泊分を国が出してくれたことも、囚われの身ながら有り難かった。少しでも経費削減を考えている我々としては食費も含めて恵みを受けたことになる。あと12日泊分を捻出すればよい。そう思い帰国、成田の後は東京の汐留を目指している。
4人の宿泊を考えた場合ウィークリーマンションが妥当であろうか。平常時であれば迷わずそのようにしている。今回それを選択肢の中に置かなかったのにはやはりウイルスを危惧するところが大きい。都内によく知った通い詰めのマンションがなく、衛生面の管理に長けたある程度知名度のあるホテルによって安心度は得られる。汐留のホテルはかねてより自分の宿泊先として利用しており、価格的にもかなりの便宜を図ってくれていたのでツインルーム二部屋を渡航前より予約していた。
さてここからは国の要請とはいえども自粛生活である。宿泊費をはじめ滞在中すべての支払いは自分たちの財布の中から出ていくことになる。3月30日より4月10日といえば都内でも感染拡大の序曲が流れはじめたあたり。通常営業していた飲食店がだんだん休業に追い込まれていくそのあたりである。一週目は開いていた飲食店が二週目に入った途端暖簾が店内に仕舞われる。一日のうち朝食、夕食はスーパーやコンビニの買い出しに頼っていたが、すべての食事がそのようなことになると栄養のバランス取りが難しくなるばかりかやはり何らかのストレスの原因になっていく。昼食くらいは開いている飲食店に入り温かいものを食べるよう心掛けている。
ホテルは感染を避けるために宿泊中の部屋の清掃をすることなく、使ったものやごみは戸外に出して、三日おきに部屋を変えるようなシステムをとる。かなり多くの客室を抱えるホテルながら海外からの渡航者(外国人)がほぼいないこともあり、空き部屋には余裕があり近くに移動できることは有り難いが、その都度の引っ越しはさすがに面倒くさい。滞在中、4度の引っ越し作業をしなければならなかった。
家族4人、ホテル宿泊が嫌いなわけではない。しかし、今回のような連泊を強いられるとさすがにストレスも溜まってくる。徹底した感染対策もあるのでそれは致し方ない。
12泊の滞在を終えて新橋駅より羽田空港に向かう時、はじめて世の中の人々と足並みが揃ったような錯覚に落ちる。一般の乗客と同じ電車に乗れる解放感をそこではじめて味わうことになる。
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